歌やイラストをやっていると、どうしてもある感情が湧いてきます。
「上手いと思われたい!」「褒められたい!」
でもコレを考えている状態はまだまだ2流、もしくは3流だなと思いました。
相変わらず持論全開で今回もお送りいたします。
1:褒められたいと思うのは満たされていないから。
コレが結論になります。
そもそも自分の自尊心が満たされていないから「褒められたい」と強く思うのです。でも最初は仕方のないことだと思います。
自分がお腹ペコペコの状態では他人に食べ物を分け与えないでしょう。喉がカラカラだったら水を譲らないでしょう。
親から子供へ(無償の愛)ではなく、赤の他人へ、であれば例外はありえません。逆にお腹いっぱいの時にお腹ペコペコの人を見れば、むしろ分け与えたいと思うでしょう。
つまり、まったくその技術を褒められたことがない場合、人は誰しも「人に感動を与えたい」よりも「自分が褒められたい」が先にくるということです。逆にさんざん褒められて満たされた時、人は「そろそろ人にも返したい」と思うようになるのです。
2:たくさん褒められると人は返したくなる
返報性の原理という心理学があります。
これは人は何かをしてもらった時に何かを返したいと思うという原理です。お土産を買ってきてもらったら返したくなるアレです。挨拶をされたら返したくなるのもそうですね。
私はこの原理が先に挙げた例にも当てはまると思っています。
要は「たくさん褒められて自分が良い気分になったから、次は人を良い気分にさせる番だ!」と、考え出すということです。
この瞬間、その技術に対する考え方が大きく変わります。
私は歌や体型を昔からよく褒められてきました。
その褒められ出した当初は見せつけるように難しい歌をカラオケで歌ってみたり、筋肉を露出させ見せびらかしていました。
自分から「カラオケ行きましょうよ!」とか誘ったりもしていました。
今思えば「痛いな・・」と思います。
しかし「人は満たされるまではその技術を自慢し続ける」という原理が存在すると私は思っているので、その原理からすれば致し方なかったのかなとも思います。
そして長年褒められ続けた結果どうなったのか。
私の歌い方、服の着こなしなどが大きく変化しました。
歌であればビブラート、高い声などのスキルを盛り込むことを必要以上にしなくなったし、筋肉も必要で無ければそんな服装はしないようになりました。
また褒められた時も飛び跳ねるように喜んでいた以前とはちがい、自然体で「ありがとうございます!」と返せるようになりました。
この変化が私は重要だと確信しています。
この変化があればこそ次へ進めると思うからです。
私の場合、歌であれば「上手いと思われることよりも感動を与えることを優先したい」と本気で思うようになりました。
コレを本気で思うことで歌の伝わり方も大きく変わると思います。
たくさん褒められた過去が糧となり、余裕を持たせ、器を大きくし、他人へ分け与える器量を生むのではないでしょうか。
3:「人へ返したい!本気で喜ばせたい!」と思ってからが第二のスタート
「まず自分が褒められて満たされたい!」が第一のスタートです。そして「自分が満たされた分、人へ返したい!」と本気で思うようになったら第二のスタート。
私はこう考えています。
なぜスタートを二つに分けたかと言うと、それはそれぞれ目的が違うからです。
自分が満たされたいのと他人を満たしたいでは目的がまったく異なってきます。そして相手へのアプローチの仕方もまた変わってきます。なので私はスタートおよび目的地を分けました。
私はつい最近やっと第二のスタートを切ったばかりです。しかもそれは歌に関してだけでありイラストや漫画に関してはまだ第一の目的地にすら着いていません。しかし最初はコレで良いと本気で思っています。
最初に書いたように人は自分が満たされてなければ他人を満たそうとは考えません。
だからこそ最初は自分を満たす必要があります。これはかなりの事柄に共通している部分です。
自分だけをまずは満たす。コレで良いのです。その過程でもし少しでも余裕が出てきたら他人へギブすることも考えて良いでしょう。しかしやりすぎは禁物です。無理は絶対に続きません。
まずは自分を満たす。それが十分になれば次に他人を満たす。
ここは割り切ってそうするべきだと私は考えます。またそうすることで無理なく真っ直ぐに先に進むことができると信じています。
4:積み重ね
1/8~2/3
筋トレ:0
イラスト・マンガ:4.5
歌:9.75
ブログ:2
YouTube、SNS:13
UE5:1.5
【積み重ね 2022年12月30日〜】前日までの合計+本日の積み重ね時間=累計(h)
筋トレ・運動:106.75